2011年09月10日

ここにメッセージはあるのか?(郁丸)

いじめられて亡くなり、
そして何か不可思議なことが起こりだす。

だいたいその不可思議な現象を経験するのは
見て見ぬふりをしていた傍観者たち。
だから、その現象の訳を知っている。
それで口々に
「これは、こんなことがあって、そして…」
と語り合う。

これは畏れであって、その現象が
彼らを脅していたわけではありません。
あずき洗いにしても、あずきを洗っているだけで
別に脅しているわけではありません。

「怖い」のは、自分たちのしていた行いです。

いじめや、周りの人々のせいで命を失ったものは、
周りの人々の怖れによって「妖怪」にされてしまいますが、
もともと被害者であったわけで、悪い存在ではありません。
それで、いったん妖怪になってから、神様へと変化する例も多いです。


要は、加害者の意識の問題なのかもしれません。
posted by 新潟アーモンド at 23:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月07日

ここにメッセージはあるのか?

いじめられて、死んで妖怪になった。

その結末だけでは切ない。

きっとその妖怪の役割があるように思うのですが・・。
posted by 新潟アーモンド at 22:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いじめらて妖怪になった妖怪とは?(郁丸)

今でいう「いじめ」みたいなことで死んでしまって妖怪になった例は
上越市のアズキトギでしょうか。
死んでしまっても大好きなアズキとぎを続けているアズキトギ。
ちょっとあわれな感じですね。

村八分という状況を「いじめ」ととらえれば、
魚沼に伝わるヤサブロバサも、いじめによって妖怪になってしまった例といえます。

なんとなくタブーとなっていて事情がうやむやだけど祟りが起きる要因、としては
いじめという理由があるのかもしれません。
posted by 新潟アーモンド at 00:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。